能登の土から命を整える|SuperRoots 運営者プロフィール(詳細版)

名前 島崎 光典

穴水町甲中学校が統合されて向洋中学校卒業(第1期生)。

向洋中学校と穴水高校への通学には、のと鉄道能登線の甲駅から通学していました。

石川県立穴水高校普通科卒業後は、読売新聞奨学生(東京都渋谷区)で代々木ゼミナールに通う。

以降はいろいろな職業を経験して2011年に長野県安曇野市から帰郷しました。

この記事では、能登で有機農業をしている私が、補助金をもらわずになぜ続けられるのかをお伝えします

先に資格技術系の紹介をします。

バブル崩壊後の1990年代は定年帰農ブームがありました。今は農業でもITでも戦争でも手ぶらで体ひとつでできるものは何もありません。精神論や根性論は通用しません。

コマツで車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)運転技能講習を修了したときに、いっしょにもらった免許証入れです

穴水町に帰郷する前に取得した資格免許の一部:4級アマチュア無線免許、大型自動車免許、けん引自動車免許、フォークリフト無制限免許など。

穴水町に帰郷してからも必要になったので取得した免許や資格はあります。

農業系でも公的な資格以外に民間資格が「日本〇ね」のユーキャンとかにたくさんあります。

その中でもプロが認める使えるものは、大部分はステップアップ系ですが、上級資格を取得するためにはその資格を取得してから何年間以上の実務経験が必要というものです。「楽して取れる」「誰でも簡単」をPRしている資格は基本ぼったくりです。それから講習の内容はほとんど死亡事故を起こさないための安全講習です。どちらかといえば、この仕事が向いていない人を振るい落とすための性格が強いです。

穴水町に帰郷してから取得した免許資格を時系列でまとめます。

1.大型特殊自動車免許(農耕車限定)

「のと里山海道」が有料道路だった2012年12月に河北潟にある石川県農業機械研修所で講習を受けました。

石川県で行っている大型特殊(農耕車限定)免許の講習会です。

自動車教習所の場合は(農耕車限定)ではありませんが費用はそれだけ高くなります。

トラクターで十分だったらこちらの方が断然お得です。

先着順なので早めに申し込むといいです。

私はキャンセル待ちで受けれたので、12月の真冬の雪が降り積もる中で講習と運転免許試験を受けました。

雪が降り積もる畑でトラクターというのはちょっと思いつかないけれど、貴重な体験ができました。

2.伐木等の業務(チェーンソー)に係る特別教育

2014年9月に消防団員の受講の順番が回ってきたので安全講習を受けました。チェーンソーでも草刈り機でも私用で使う場合は安全講習を受ける必要はありませんが、ボランティアをふくむ業務で使うときは安全講習を受けて合格しないとできません。ヤミはどこにでもいるけれど、それで事故が起きたら手遅れです。

3.JGAP指導員

2015年10月に日本GAP協会のJGAP指導員に合格しました。

GAPについては、自分が指導員になる方法と指導員に依頼する方法があります。私は自分が指導員になる方法を選びましたが、経費はそれほど変わりません。年間30万くらいはかかりますが、今は国の補助事業の対象なので国の支援が受けられます。

でも有機JASと合わせると60万以上かかります。とにかく売れるものを作らないといけませんね。

JGAPはその後、JGAP Advance、ASIA GAPへと発展して海外市場を狙うと同時に東京五輪での調達基準規格に採用されました。それとは別に国内市場に特化した JGAPに2種類になりました。ASIA GAPの方は2028年に廃止して、JGAP SA+への一本化が決まっていますが、私は今はASIA GAP指導員です。

私は東京五輪までに圃場をJGAP認証圃場にするために、2017年にJGAP取組宣言をして自分を追い込みました。北國新聞に有料で広告も出してました。

 

4.有機JAS学科講習

有機農業の実務経験が3年以上たったので、2016年5月にJONAで受講しました。あとは圃場申請だけで止まってます。理由はお金です。なんだかんだいって審査などの経費が毎年30万近くかかるので、最低限それ以上の売り上げが必要です。

私は補助金がまったくのゼロです。

そうすると農業所得は1000万近くないと赤字でしょう。それで副業で警備員の仕事をしています。

有機JAS取ったら赤字で廃業は本末転倒なので、1000万以上売り上げが見込める農作物を作ることから始めました。水稲ですか?「令和の百姓一揆」によればあれだけ高額な農作業機械をそろえて時給10円らしいです。

それから、この時の有機JAS講習ではイオン農場さんと一緒になりました。イオン農場さんは、GAPはグローバルGAPですが、有機JASはJONAです。

ちょうど翌年から国内のイオン農場を有機JAS認証農場にするために講習に来ていました。

私はトラブル続きですっかり遅れてしまいました。

 

5.HACCP講習(関西大学)

2019年4月に関西大学でHACCPセミナー<基礎コース>を受講しました。関西大学を選んだのは、私の祖父が戦前に大阪三越に勤務していて、大阪は「天下の台所」といわれて和食文化の中心地だからです。

 

やっぱりかなあ。有機農業の先輩がたどった道が始まりました

2012年から準備を進めて2015年にJGAPで圃場を作る作業を具体化し翌年の2016年に有機JAS学科講習を修了してこれから本格的に始めるという矢先に、農薬の袋を置かれるという嫌がらせ(おどし)を受けました。見過ごすわけにはいかないので、穴水警察署に届けました。こうなることは予想していたので、穴水町以外で有機農業を支援してくれる人のネットワーク作りを始めました。ちょうど、のと鉄道から穴水駅の道の駅で物販してもいいと打診があった直前のタイミングでした。

2026年の今から思うとこれが10年後の現在まで続いていることになります。東京五輪までに有機JASとASIAGAP認証農場を穴水町に作る夢も失敗しました。

どうするね?たぶんどちらかが死ぬまで続くでしょう。高市早苗総理大臣と盟友の「はせひろし石川県知事」に助けてもらうかね?

しかし潰されずにすんだのは、私が補助金をまったくもらっていないからだともいえました。そうしたら2024年元日の能登半島地震で借りている農地を穴水町に取り上げられました。それで穴水町消防団を退団しました。暮らしていけないからね。

今でもそうなのか知りませんが、私は新規就農する前の2012年2月に金沢市で開催された「いしかわ農林漁業就職フェア 」に参加しました。そのときに担当の人が言っていたのは、農業は食べていけるようになるまで3年以上かかるので、3年間の生活費で自己資金が1000万円くらいないと無理ですよ。と言われましたが、今でも同じだと思います。そしてそのお金を狙っている人たちが優しい親切そうな顔で待ち構えています。

わたしは就職フェアはこれが最初で最後です。私は就職活動をした経験がありません。面接即採用の現場でしか働いたことがありません。そこで仕事を認められて今風で言うとタイミーみたいに転職することを繰り返していました。ハローワークは再就職支援金を受け取るために利用しました。

資金的には限界を超えていたので、2015年5月から警備員の副業を始めました。半農半X(はんのうはんえっくす)ともいえるかな。

私が有機農業を始めたきっかけは、能登半島と佐渡島が世界農業遺産に日本で一番最初に認定されたことです。ただしどのようなスタイルをするのかについては、始めた頃は有機農業は化学肥料も農薬もビニールマルチなどの農業資材もほとんど買わないから、それだけ生産コストは安くなると考えていました。本当は栽培する作物で違うんですが、私の場合は肥料代、農薬代の出費は慣行農業に比べれば低いです。苗や種も自家採取で調達できれば種苗代はゼロにできます。問題は品質ですが、慣行農業の農産物ではB品や規格外品扱いの品質でも「有機」とついたらA品並みの価格でも売れるのが、有機農産物です。それで1990年代に市場が混乱したので「有機表示」の厳格化を目的に作られたのが今の有機JAS法です。私は有機農業だろうと慣行農業だろうと、品質は普通でも安定して大量生産と供給できるノウハウを持っている人がプロ農家じゃないのかと考えるようになりました。

「能登半島では有機農業は無理」ということについては、地元の人間は固定観念が強いからだと考えています。能登島の高農園さんも輪島市で有機農業をしている金沢大地さんも他所の人です。他所の人ができているのに穴水町出身の地元の人間が無理というのはどんな理由があるんだろう?

 

穴水警察署とは2016年のこの時点で話はついていました。地元の警察なので、私の母校の穴水高校の先輩も後輩も普通にいます。私が相談に行ったときに応対してくれた方は後輩でしたが、私の学年からひとりだけ警察に進んだ幼なじみがいました。

その後輩は彼のことをよく知っていました。そして「絶対に先に手を出さないでください。何かあったら警察に相談してください。」と強く念を押されました。

私は陸上自衛隊にいました。挑発してきた相手がプロの市民活動家だったとしても手を出すようなことをすれば、朝日新聞などの反日オールドメディアが鬼の首を取ったように騒ぎます。それでずっと知らないふりをしていました。

私としては日本有機農業研究会の会合ではもっとすさまじい話を聞いていたので、別に落ち込むことはありませんでした。これ以降は、相手がどんな思想や宗教や支持政党が不明なので、それを知るために逆に私の思想信条支持政党をはっきりとSNSなどで顔出しで発信することにしました。私は自民党員で、安倍元総理、トランプ大統領、高市総理、はせひろし石川県知事を支持しています。そして陸上自衛隊での勤務経験があります。竹島や尖閣諸島は日本固有の領土です。慰安婦や731や靖国神社参拝問題は朝日新聞などの売国メディアの捏造だと考えています。

ということは、その反対側の勢力の人たちだと10年かかって気がつきました。2016年のこれ以降も断続的に続いていますが、のとぴぃやSNSの方に記録は残しています。2026年2月8日の衆議院選挙で高市早苗総理大臣の自民党が圧勝して、中国共産党が発狂しました。中国共産党習近平は2027年末までに台湾を占領すると事実上公言しています。日本にいる習近平に忠誠を誓う人たちも行動するでしょう。残りあと2年は戦わないといけませんが、敵は分かっているので気楽です。

 

助けてくれそうな人を見つけよう

能登半島地震で親身になって助けてくれるのは行政ではないことがよく分かりました。

行政も言うでしょう。

災害発生の一番最初の72時間は自分で自分の命が助かるようにしてくださいと。

農業の世界にもたくさんの団体があります。

2026年1月現在、私が最新の情報を得るために入っている団体です。

1.日本有機農業研究会

2.JONA(有機JAS認証団体)

3.日本GAP協会

4.東京農大(発)全国土の会

5.日本会議

エピローグ:「食」の最前線から、命を支える「土」の源流へ

私の歩みは、食の「川下から川上へ」と遡る(さかのぼる)旅でした。

20代の頃に、東京都世田谷区にあったファミリーレストラン「ロイヤルホスト芦花公園店」での勤務からキャリアが始まりました。接客の最前線でお客様の反応を肌で感じました。1989年(平成元年)2月24日の昭和天皇崩御の大喪の礼(たいそうのれい)を新宿御苑で見送った後、私は陸上自衛隊へと進みます。そこで学んだのは、組織を根底から支える「自己完結能力」の重要性でした。

1995年の阪神淡路大震災。私は後方の管理要員として、MOSを活かして増援部隊を支える炊事業務に専念しました。表舞台で活躍すること以上に、裏方として現場を支え続けることがいかに困難で、かつ尊いか。その時の経験が私の価値観を「目立つ」ことから「本質を支えること」へ大きく変わるきっかけを作りました。

裏方のプロとして、能登の土を支える

除隊後は、成田空港内の貨物地区での輸入生鮮貨物の仕分け作業、長野県安曇野市のソニーEMCS長野テックでVAIOノートPCの製造など様々な仕事を経験したのちに、長野県の産業振興のために東急グループ創業者の五島慶太(ごとう けいた、1882-1959)氏が設立した飲料メーカーのゴールドパック株式会社にて、有機野菜ジュースなどの製造に2年半ほど従事しました。有機JASの加工とHACCPの品質管理の現場を徹底的に歩みました。

そして2010年9月7日に発生した「尖閣諸島中国漁船衝突事件」と父親の病状悪化(医者から余命後5年と告げられました)が原因で、骨をうずめるつもりだった安曇野を離れて能登半島に帰郷する決断をしました。2011年4月から1年間穴水町にある親戚の前田農園で1年間農業実習をしました。その途中で、2011年に6月に能登半島と佐渡島が日本で初めて「世界農業遺産(GIAHS)」に認定されました。それで2012年4月に新規就農したときに、私は「有機農業なんて能登半島では無理。やったら潰すぞ!」と能登の農業関係者から言われていましたが、わたしは世界農業遺産(GIAHS)だった頃の能登半島に化学合成農薬も化学肥料もあったのか?

と決心して有機農業を選択しました。そしてすべての食の源流である「農業」の現場へと、ついに川上までたどり着きました。

現在有機農業14年目。私の仕事は、野菜を「育てる」以上に、微生物の力を借りて土を「支える」ことにあります。

陸上自衛官時代に培った(つちかった)後方支援の精神。IT農家としての分析力。そして食の全工程を見てきた経験。そのすべてを注ぎ込み能登の地で、ヤーコン、アピオス、キクイモといった「長生き野菜」を育んで(はぐくんで)いこうと思います。

派手さはありませんが、誠実に、そして強靭(きょうじん)に。

土という裏方を整えることで、みなさまのすこやかな毎日を支え続けていきたいと今後も考えております。

2024年1月1日の能登半島地震での物心両面での多大なご支援本当にありがとうございました。

チーフプロデューサー:Gemini Pro (Google AI) © 2026 SuperRoots 能登 / Mitsunori Shimasaki

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