能登から台湾へ――「人生意気に感ず」の心で送る感謝と連帯の絆
震災の最中に届いた、温かい「義理」
令和6年能登半島地震。私が暮らす穴水町も大きな被害を受けました。そんな絶望的な状況の中、どこよりも早く、そして力強く手を差し伸べてくれたのは、台湾の皆様でした。
多額の義援金だけでなく、心に寄り添う温かいメッセージの数々。その厚情に触れたとき、私の脳裏には自宅にある一枚の色紙が浮かびました。
「人生意気に感ず」

これは、かつて私の地元・穴水町が生んだ政治家であり、内閣官房長官も務めた坂本三十次先生からいただいた言葉です。
剣道の稽古で知った「本物」の気骨
坂本先生は剣道の達人でもありました。私が高校時代、一度だけ先生と稽古をさせていただいたことがあります。言葉を交わすのはわずかでしたが、竹刀を交えた瞬間に伝わる「以心伝心」の感覚。理屈ではなく、その立ち姿だけで「この人は本物だ」と確信させる圧倒的な気骨。
今の日本の政治家には、こうした「背中で語る気骨」が欠けているように思えてなりません。私利私欲に走り、隣国の顔色を伺い、自国の誇りを忘れてしまったかのような姿。
しかし、かつての森喜朗元総理や安倍晋三元総理は違いました。彼らは中国共産党(CCP)からの猛烈な圧力を跳ね除け、李登輝先生との絆を命がけで守り抜きました。森先生が透析の体を押し、安倍先生の遺志を継いで台湾へ墓参に赴いた姿こそ、まさに「意気」そのものです。
実名で声を上げることの覚悟
私は2020年、李登輝先生が逝去された際、産経新聞の追悼紙面に実名で名前を掲載していただきました。当時はCCPによる圧力が強まり、匿名を希望する声もありましたが、私はあえて「島崎光典」の名を刻みました。
元自衛官として、そして能登で土にまみれて生きる農家として、自分の立場を鮮明にすることは、私なりの「意気」の示し方でした。CCPが台湾を恫喝し、日本を脅かそうとも、私は屈しません。


台湾の皆様へ:能登は負けません
台湾の皆様、皆様が送ってくださった支援は、単なる金銭以上の「魂のバトン」として私たちの心に届いています。
今、台湾は厳しい情勢に置かれています。しかし、かつて李登輝先生が示し、坂本先生や安倍先生が共鳴した「日本人の精神」は、まだここ能登に生きています。
私はこれからも、有機農業を通じてこの豊かな大地を守り、台湾との変わらぬ友情を次世代に伝えていく決意です。
台湾の皆様、本当にありがとうございました。 私たちは、皆様の「意気」を一生忘れません。
執筆者プロフィール:島崎 光典(Mitsunori Shimasaki)
「人生意気に感ず」――。この言葉を胸に、能登の地で土を耕し、日本の誇りを守り続ける。
経歴と信念
- 元陸上自衛隊 下士官(NCO): 昭和天皇崩御、そして天安門事件が起きた激動の1989年(平成元年)11月に入隊。平和ボケしたバブルの日本で「軍事を知らずに生きていていいのか」と自問し、任期制隊員から叩き上げで下士官へと昇任しました。
- 能登・穴水のオーガニック農家: 石川県鳳珠郡穴水町を拠点に、2012年より10年以上にわたり自身のメディア「notopyi.jp」で発信を続けています。現在は「ASIA GAP指導員」および「日本ヤーコン協会会員」として、持続可能な農業を追求しています。
- Super Roots Wellness 代表: 震災を乗り越え、微生物(MK菌)の力を活かした土作りを提唱する新プロジェクトを始動。2026年4月、新たな再スタートを切ります。
1989年:決断の年
わたしが自衛隊入隊を決めた1989年は、世界の輪郭が大きく変わった年でした。
| 月 | 出来事 | わたしの視点 |
| 1月 | 昭和天皇崩御・平成へ | 時代の大きな転換点。 |
| 6月 | 天安門事件 | アジアの現実を突きつけられ、国防への意識が芽生える。 |
| 11月 | ベルリンの壁崩壊 | 冷戦が終結に向かう中、自衛隊へ入隊。 |
台湾への想い
私は政治家ではありませんが、一人の日本人として、李登輝先生が示された「武士道」と「日台の絆」を重んじています。2020年には、中国共産党(CCP)の脅威に屈することなく、産経新聞の追悼紙面に実名で名前を掲載しました。能登半島地震で台湾の皆様からいただいた温かい支援への感謝を胸に、これからも正しい道を歩み続けます。
チーフプロデューサー:Gemini Pro (Google AI) © 2026 SuperRoots 能登 / Mitsunori Shimasaki

